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text:chomonju:s_chomonju484

古今著聞集 宿執第二十三

484 叡山の千手院に広清といふ僧ありけり・・・

校訂本文

叡山1)の千手院に広清といふ僧ありけり。常に法華経を読み奉りて、極楽に詣でたるよし、人の夢に見えたり。没後にかの墓所に、夜ごとに経一部読む声おこたらざりけり。改葬して、その墓所を他所にわたしたりける時も、なほ経の声おこたらざりけり。在生の時より執し奉れるゆゑに、没後もその行おこたらぬなり。善悪につけて執心あることは、生を隔つれども、かかるにこそ。

同じ西塔の僧円久も、この定(ぢやう)なりけり。ただしあれは七々日ごとに読みけるとぞ。あはれなることなり。

また壱睿といふ僧ありけり。これも多年法華経に帰して修行しける間、紀伊国完背山に至りて宿したりける夜、その人は見えずして、法華経を読む声聞こえけり。一部読み終りて経の声やみぬ。怪しく思ひて、朝にそのほどを見るに、年序経たる白骨あり。さらに分散せずして、正体みなつづきたり。その髑髏の中に赤き舌あり。壹睿、髑髏に向かひてその因縁を問ひければ、舌答へていはく、「われはこれ叡山の僧、名をば円善といひき。修行の間、この山に至りて夭亡(えうばう)す。前生に、『法華経六万部を読み奉らん』と願をおこして、生分はすでに終りにたり。はからざるに生を隔つといへども、その願を誦満せむがために、なほ誦するなり。今年すでに読み終りて、まさに兜率2)の内院に生ずべし」と言ひけり。壹睿、このことを聞きて、礼拝(らいはい)をなして去りにけり。

かくのごとくのためし多し、『霊異記3)』にも、熊野山及金峰山に誦経の髑髏あるよし見えたり。これらみな執の深き人のいたりなり。善事は執に引かれて善所に詣づ。悪事に深き執こそよしなきことなれ。

翻刻

叡山千手院に広清といふ僧ありけり常に法/s386l

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/386

花経をよみたてまつりて極楽にまうてたるよし人
の夢に見えたり没後に彼墓所に夜ことに経一部
よむこゑをこたらさりけり改葬して其墓所を
他所にわたしたりける時も猶経の声をこたら
さりけり在生の時より執したてまつれる故に
没後も其行をこたらぬ也善悪につけて執心ある
ことは生をへたつれともかかるにこそ同西塔の
僧円久もこの定なりけり但あれは七々日ことに
よみけるとそあはれなる事也又壹睿といふ僧あり
けりこれも多年法花経に帰して修行しけるあひた紀
伊国完背山にいたりて宿したりける夜その人は/s387r
見えすして法花経をよむこゑきこえけり一部よみ
をはりて経の声やみぬあやしくおもひて朝に其
程を見るに年序へたる白骨あり更に分散せ
すして正体みなつつきたりその髑髏の中に
あかき舌あり壹睿髑髏に向て其因縁をとひけ
れは舌答云我是叡山の僧名をは円善といひき
修行のあひた此山にいたりて夭亡す前生に
法花経六万部をよみたてまつらんと願をおこして
生分は既にをはりにたりはからさるに生をへたつ
といへとも其願を誦満せむかために猶誦する
也今年すてによみをはりてまさに兜率内院に/s387l

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/387

生すへしといひけり壹睿此事をききて礼拝を
なしてさりにけりかくのことくのためしおほし霊
異記にも熊野山及金峯山に誦経の髑髏ある
よし見えたりこれらみな執のふかき人のいたり也
善事は執にひかれて善所にまうつ悪事にふ
かき執こそよしなき事なれ/s388r

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/388

1)
比叡山延暦寺
2)
都率天・兜率天
3)
『日本霊異記』
text/chomonju/s_chomonju484.txt · 最終更新: 2020/08/23 23:27 by Satoshi Nakagawa