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text:k_konjaku:k_konjaku15-41

今昔物語集

巻15第41話 鎮西筑前国流浪尼往生語 第四十一

今昔、鎮西筑前の国に相ひ知る人も無き尼有けり。寄り付く方も無かりければ、其の国の山寺に貴き僧の有ける許に寄て、其の僧の食物をして、年来仕はれて有けるに、尼、常に弥陀の念仏を唱へけり。忍ても唱へずして、此く高声に、其の音極めて高くして、叫ぶが如く也。然れば、聖人の弟子共、此れを唱ふるを悪1)みて、師に事に触れて宜からぬ様に云ひ聞せて、追はしめてけり。

尼、追出されて、〈聞て尼念仏を唱へば2)〉行くべき方無くて、広き野に行て、念仏を唱へけるを、其の国の人の妻として有ける女有けり。心に慈悲有て、此の尼の迷ひ行(あるき)て、念仏を唱ふるを哀びて、呼び寄せて、尼に云く、「此く迷ひ行くが糸惜ければ、此く家も広し、庭も広し。然ば、此に居て念仏も申せ」と云ければ、尼喜て、其の家に居ぬ。

食物など宛て哀れめば、尼、限無く喜て、家主の女に云く、「此くて徒にして候に、苧を給へ。績(つみ)て奉らむ」と云へば、女、「何ぞの苧をか績まむ」と云へども、尼、強に乞て、人より真心に吉く績て取せたれば、女、「広き所なれば、念仏もう申さしむが為に居(すゑ)たらむとこそ思ひつるに、此る事をさへ真心に為るこそ哀れなれ」とて過ぐる程に、三四年許にも成ぬ。

而る間、尼、家主の女を呼て云く、「己は明後日に死候ひなむとす。沐浴し侍らむや。年来哀れび給ひつる事の喜(うれし)く侍れば、死なむ時の事、見せ奉らむと思ふ也。此の事、人に語り給ふべからず」と云て泣事限無し。家女、此れを聞て、哀び悲びて、人に此の事を語らず。

既に其の日に成ぬれば、尼に沐浴せさせて、浄き衣を着せつ。家女、一間許を去(のき)て見居たれば、此の尼、音を高くして、前々の如く念仏を唱へて居たる程に、夜に入て、「子丑の時許に成ぬらむ」と思ふ程に、後の畠の中に、世に知らず微妙(めでた)き光、俄に出来れば、家女、此れを見て、驚き怪て、「此れは何なる事ぞ」と思て見居たれば、亦、麝香の薫などにも似ず、奇異に馥ばしき香、匂ひ満たり。空より紫の雲、其の辺に涌き居て見えければ、家女も此れを見て、念仏を申入て有る程に、尼は居乍ら西に向て掌を合て、額に宛て失にけり。家女、世に此く奇異(あさまし)く、微妙き事を見つる事を悲び貴びて、泣々く礼拝しけり。

其の後、高野に有る、□□□上座と云ふ僧の、其の時に十二三歳許にて其(そこ)にて有けるになむ、家女、此の事を語りける。

仏菩薩聖衆の来り給ふとは見えざりけり。紫雲光りなどは、慥に見けり。亦、其の尼の移り香、女、移して後まで持たりけり。家女も紫雲光りを見、其の香を聞けむは、此れを思ふに、定めて罪人には有らじ。「遂に願へば往生する事も有なむ」とぞ思ゆる。此れを聞く人、皆悲び貴びけり。

然れば、往生する人は、皆、兼て其の期を知て、此く人に告ぐる也。此れを聞て、人、皆心を発して念仏を唱へて、極楽を願ふべしとなむ語り伝へたるとや。

1)
「にく」底本異体字。りっしんべんに惡
2)
底本頭注「聞テ以下ノ九字ハ衍文カ」
text/k_konjaku/k_konjaku15-41.txt · 最終更新: 2015/11/07 01:35 by Satoshi Nakagawa