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text:k_konjaku:k_konjaku16-9

今昔物語集

巻16第9話 女人仕清水観音蒙利益語 第九

今昔、京に父母も無く親類も無くて、極て貧しき一の女人有けり。年若くして形ち美麗也と云へども、貧しきに依て、夫をも相具さずして、寡にて有り。

此の如く便無くして年来有るに、心に思はく、「観音の助けに非ずば、我が貧しき身に富を得難かりなむ」と思ひ得て、日夜朝暮に清水に詣でて、此の事を願ふ。

昔は清水に参る坂も皆薮にして、人の家も無かりけるに、少し高くして小山の様なる所有けり。其(そこ)に小さき柴の庵を造て、一人の嫗住けり。其の嫗、此の清水に詣づる女人を呼て云く、「極て貴く日夜に参り行き給かな。知たる人も御せぬにや」と。女の云く、「知たる人の侍らむには、此る様にては侍なむやは」と。嫗の云く、「糸哀なる事かな。今吉き身には成り給ひなむ。秋比までは、怪くとも、此の庵にて、物などは食ひつつ参り給へ」と云ひて、庵の程よりは、食物糸清気にしつつ呼び入れて、其れを食ひつつ参けるに、適ま一つ着たる衣も、只破(やれ)に破れて、身も現はに成りぬ。其れに付ても、身の宿世、思ひ遣れて、弥よ道心を発して参るに、暁に御堂より出る間、六波羅の程を下るに、極めて苦しくて、愛宕の大門に寄て息み居たり。

而る間、京の方より、多の人、或は馬に乗り、或は歩の人、多く来る。「何人ならむ」と、恐しく思ひ居たるに、主人と思しくて、馬に乗たる人、打寄て馬より下ぬ。「人など侍にや有らむ」と思ふ程に、寄来て、女の顔を打見て云く、「何人の此(かく)ては独り御ぞ」と。女の云く、「清水より出づる人也」と。男の云く、「我れ、思ふ様有て、君に申すべき事有り。我が申さむ事に随ひ給へ」とて、其の辺に有る小屋を叩き開て、将入ぬ。

女、夜るにして独也。辞び得べき様無くて、遂に男の云ふに随て臥ぬ。

其の後、男の云く、「我れ、然るべき宿世有て君を得たり。深き契を成さむと思ふ。我れは遠き国に行く人也。我が行かむ所に具して御なむや」と。女の云く、「我れは知れる人も無き身也。然れば、『只、都を離れて消失なばや』と年来思ふに、何(いづ)く也とも将御せば、極て喜(うれし)くこそは侍らめ」と。男の云く、「京には知り尋ぬべき人は無か」と。女の云く、「而る人の有らむには、此る様にては侍りなむや」と。男の云く、「然れば、糸吉き事かな。早く去来(いざ)給へ」と。女の云く、「此に糸惜き者の有るを、今一度見ばやとなむ思ふ」と。男の云く、「其れは何くに有るぞ」と。女の云く、「此より二町許登て、小さき柴の庵有るに住む嫗の、年来哀れに当つる、告て行むと思ふ也」と。男の云く、「速に行て告ぐべし。但し、着給へる衣こそ極めて見苦しけれ」と云て、忽ちに皮子を開て、清気なる衣一重・生□袴□1)取出て、女に着せて、具して将行く。

庵に行着て馬より下て、「御ぬるか」と云へば、「候ふ」とて、出来たり。女の云く、「思懸ぬ人の道に値て、『去来』と有れば、具して行くを、『此くと申してこそは』と思てなむ。年来、哀れに当り給ひつるに、我も人も生て亦見む事難し」と云次(いひつづ)けて、泣く事限無し。嫗の云く、「然はこそ申ししか。『此く参り給へば、空くは有らじ』とは。只、疾く下り給ひね。極て喜き事也」と。此の女、「何をがな、形見に嫗に取せむ」と思ひ廻すに、身に持たる者無くして思はく、「父母に別るる人も、髪をこそ形見にはすれ」と思て、左の方の髪を一丸がし掻出して、押し切て嫗に取すれば、嫗、此れを取て、打泣て、「哀れに、思ひ知たりける事」と云て、指の崎に三纏許巻て、「命無くて互に値ふ事難くとも、此の指は世も失せ侍らじ。此れを注(しるし)にて、尋ね給へ」と云へば、女、何に云ふ事とも心得ずして、泣々く別れぬ。

早う、此の男は、陸奥守と云ける人の子の、守の国に有ける間、日来京に有て、「心に付かむ女を求て、具して下らむ」と思て求けるに、求得ずして下るが、此れを打見るに、「只此れ也けり」と思ふ様にて、具して行く也けり。

女は、道すがら、嫗の事のみ哀に思ひ出されて、泣々く行着て、程無く人を上て尋させけれども、何にも而る庵も無し、嫗も無しとて、尋ね得ざりければ、「失にけるにや、今一度相見で」と、心苦しく思ける程に、四年畢て、上けるままに自ら行て見れば、有し岳(をか)は有れども、柴の庵も無し。「哀れに悲し」と思ひ乍ら、御堂に参て、「此く思ひ係けず、乏き事無くて有る。偏に観音の御助也」と思て、打見上げ奉たれば、御帳の東の方に立給へる観音御す。その世無畏2)の御手に、我が切て嫗に取せし髪を纏て立給へるを見るに、哀れに悲き事限無し。「然は、我を助けむが為に、嫗と現じ給ひけむ」事を思ふに、堪へ難くて、音も惜しまずしてぞ、泣々く返にける。

其の後、夫婦違ふ事無く、身も乏き事無くしてなむ有ける。観音の助け給はむには、将に愚ならむやは。此くなむ語り伝へたるとや。

1)
底本頭注「生及袴ノ下本欠字セズ」
2)
底本ママ。通常は「施無畏」
text/k_konjaku/k_konjaku16-9.txt · 最終更新: 2015/11/29 11:56 by Satoshi Nakagawa