ユーザ用ツール

サイト用ツール


text:k_konjaku:k_konjaku6-26

今昔物語集

巻6第26話 震旦国子祭酒粛璟得多宝語 第廿六

今昔、震旦の唐の代に、国子祭酒と云ふ官にて、粛璟と云ふ人有けり。梁の武帝の玄孫也。

而るに、梁の代滅せられて、隋の代に成る時に、此の人の姉を以て、隋の煬帝の后と為たりけり。此の人、長大して後、仏法を貴ぶ心有て、大業の代に自ら法花経を読奉れり。経の文を深く信じて、多宝仏塔を造り奉る。高さ三尺許也。諸の檀香等を以て造れり。亦、檀木を以て多宝仏の像を造て、塔に安置し奉らむと為る程に、自然(おのづから)数年を経ぬ。

而る間、此の人の兄の子有り。名をば鍄鈴と云ふ。其の人、家に有るに、朝に起て、粛璟が家へ行くに、或る別院の中を通る間に、草の中にして、一の檀木の塔を見付たり。蓋の下に、一の鍮石の仏像在す。造り奉れる体を見るに、中国には似ず、面貌、胡国に似たり。仏の御目には、銀を以て入れたり。中の黒き精は、光り清くして、日の光の如し。

鍄鈴、此れを見て、怪び驚て、走り行て、伯父の粛璟にににに此の事を告ぐ。粛璟、即ち行て、此れを見て、喜びて、此れを取て、家に還て、我が造れる処の塔の中に安置し奉るに、相ひ構へたる事、本より造り居へ奉たるが如し。粛璟、喜び思ふ事限無し。「我れ、誠の心を致せるに依て、此の仏像を得たる也」と思ふ。

亦、此の仏像の函の中に、仏舎利、百余粒在ます。粛璟が家に幼き女子有り。密に此の舎利を疑て思はく、「胡国の僧は、常に舎利を鎚(つち)を以て打て、破れざるを以て実と知る。然れば、我れ、窃に試む」と思て、舎利三十粒を取て、石の上に置て、斧を以て打つに、忽に、舎利、見え給はず。女子、怪むで、「地に落給ひぬるか」と思て、迷て求め給ふに、只三四粒許有て、残は失て見給はず。

女子、恐れて、父の粛璟に此の由を告ぐ。粛璟、驚て、塔の中を見るに、舎利、皆本の如く、塔の中に在ます。失給ふ事無し。然れば、粛璟、弥よ貴び崇め奉る事限無し。此の日より始て、此の多宝仏塔の前にして、法花経一部を誦す。

其の後、貞観十一年と云ふ年、粛璟、病を受けつ。姉の后、並に類親1)、皆来て、相ひ見る。各、香を燃(た)かしめて、皆還ぬ。但し、粛璟が弟の瑀と云ふ人と、粛璟が娘の尼と成れるとをば留めて、猶香を燃かしめて、経を読む。

暫く有て、粛璟、娘の尼に告て云く、「我れ、忽に死なむとす。普賢菩薩来て、我れを迎へ給ふ。東院に在ます。某法師を迎へて来べし」と。

娘の尼、粛璟が云ふに随て、法師を迎へむが為に行く程に、未だ還らざるに、粛璟が云く、「此の処、不浄にして、敢て来たらじ。我れ行くべし。汝等、快く留れ」と云て、弟の瑀をば留めて別れぬ。

別院に行て、其の法師に向て跪き、掌を合せて、正しく西に向て、暫く有て、倒れ臥ぬ。遂に絶にけりとなむ、語り伝へたるとや。

1)
底本頭注「類親諸本親類ニ作ル」
text/k_konjaku/k_konjaku6-26.txt · 最終更新: 2016/10/28 02:38 by Satoshi Nakagawa