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text:k_konjaku:k_konjaku9-14

今昔物語集

巻9第14話 震旦江都孫宝於冥途済母活語 第十四

今昔、震旦の江都に、孫宝と云ふ人有けり。

若くして死して、其の身、尚暖にして、四十余日を経たり。遂に活(いきかへり)て、自ら語て云く、

「我れ、始めて死せし時、人来て、我を捕へて、官曹の内に将至る。見れば、死たる我が母、其の中に有て、苦を受く。孫宝、此れを見て、且は母を見て喜ぶ、且は苦を受くるを見て悲ぶ。母、孫宝を見て云く、『我れ、死てより後、久く禁(いましめ)られて、聊苦び、息む事無し。我れ、自ら訴ふるに、力及ばず』と云ふ。

明る旦に、官人有て、孫宝を引て、冥官に見せしむ。冥官、孫宝を見て云く、『汝ぢ、罪無かりけり。速に放ち免す。出よ』と。孫宝、出でずして、冥官に向て1)云く、『人、生たる時造る所の、罪も福も、皆其の報有りや』と。冥官の云く、『定めて有り』と。孫宝が云く、『兼て、罪をも福をも造れるを、相ひ分ち除く事有や』と。冥官の云く、『有り』と。孫宝が云く、『然らば、我が隣の里の人、其の生たりし時、罪は多く、福は少かりき。今見るに、其の人、外に有り。孫宝が母は、生たりし時、福は多く罪は少かりしに、其れは久く留められたり。若し、定たる報有らば、何ぞ此の如く有る』と。

冥官、此れを聞て驚て、主吏を召して、此の事を問ふ。主吏の云く、『其の人の罪福を注(しる)せる案の無き也』と。然れば、冥官、孫宝が母を召して、勘へ聞て、其の福多く、罪少き事を知ぬ。主吏を召して責むるに、主吏云く、『案を失へるが故に、彼の軽重を知らざる也』と。冥官、更に別の籍を勘ふるに、母云ふ所の如し。

然れば、仰せて、『孫宝が母を解き免して、楽堂と云ふ所に有らしめよ』と云ふ。然れば、母子共に門を出づ。

孫宝、母を送て、彼の楽堂に至らしむ。其の楽堂と云ふは、大きに善く荘厳せる宮殿・堂閣有て、諸の男女、其の中にして、楽を受くる所也。孫宝、此の諸の堂閣を見て、遊戯して、『還らむ』と思ふ心無し。

其の間、四十日を経たり。亦、孫宝、伯父を見る。伯父、孫宝を責めて云く、『汝ぢ、未だ死に会はずして、放免せらるるに、何ぞ、早く還らざるぞ』と云へば、孫宝が云く、『我れ、楽堂に有て、還らむ事を願はざる也』と。伯父、忿て云く、『汝ぢ、知らずや。人の死する事、各本の業に依て、其の報を受く。定めて、汝ぢ、報悪にして、楽堂に生るる事を得じ。但し、未だ死に会はざる故に、自然ら其の中に遊ぶ事を得る也。若し、死なば、冥官、当に其の報を収め録(しる)さむ。豈に、母を見る事を得むや。汝ぢ、極て愚也』と云て、瓶の水を取て、孫宝が、頭より始めて、趺(あなうら)に至まで、遍く其の身に灌ぐ。但し、臂の間に、少し灌がずして、水尽ぬ。

其の後、一の空き屋の有るを指て、孫宝を其の中に入らしむ。『既に入る』と思ふ程に、活へる也」

と語る。但し、其の灌ぎつる水の遍かざる臂の所には、遂に宍(しし)乱れて、堕落して、于今骨見へけり。

但し、孫宝、冥官に訴へて、母が苦を抜きたる、限り無き孝養に非ざらむやとなむ、語り伝へたるとや。

1)
底本頭注「向諸本問ニ作ル」
text/k_konjaku/k_konjaku9-14.txt · 最終更新: 2017/01/31 13:23 by Satoshi Nakagawa