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text:kohon:kohon047

古本説話集

第47話 興福寺建立の事

興福寺建立事

興福寺建立の事

校訂本文

今は昔、山階寺1)焼けぬ。この寺の仏は、丈六の釈迦(さか)仏におはします。昔、鎌足の大臣(おとど)2)の子孫のために造り給ひて、北山階に堂を建てて安置し給へり。されは山階寺とは所変れどもいふなり。

天智天皇の、粟津の京に、御門おはしますあひだに造らるるなり。その大臣(おとど)の御子に、不比等の大臣3)の御時に、今の山階寺の所に造り移されたるなり。三百余歳になりて焼けしなり。それを、当時の御世に造らせ給へるなり。

かの御寺の地は、異(こと)所よりは、地の体(てい)、亀の甲のやうに高ければ、井を掘れども水出でこず。されば、春日野より流るる水、寺の内に掘り入れて、よろづの房の内へも流し入れつつ、一寺(ひとてら)の人は使ふなり。それに、この御堂の廻り廊・中門の北の講堂4)・西の西金堂・南の南円堂・東(ひんがし)の東金堂・食堂・細殿・北室の上(かむ)の階(しな)の僧坊・西室・東室・中室の大小房どもの壁塗るに、国々の夫、多く集まりて水を汲むに、二三町のほどなれば、汲みもやらねば、え塗りもやらで、ことの離(さか)るほどに、夕立の少ししけるに、講堂の西の方に、庭の少し窪みたるに、溜り水のただ少ししたるを、壁塗りの寄りて、その水を汲みつつ、「壁土に混ず」とて汲むに、尽きもせず水のあれば、あやしがりて少しばかり掻い掘りて、水底より水湧き出づ。

稀有がりて、方二三尺、深さ一尺余ばかり掘りたれば、まことに出づる水なり。それを、そこそばくの壁の料に汲むに、水、尽きもせず。

さて、その水をもちて、多くの壁を塗れば、遠く汲みしよりは、ことただなりになりぬれば、「さるべくて、出でくる水なり」と、御寺の僧どもも、石畳をして、屋を造り覆ひて、今に井にてあれば、稀有のことにする。その一つなり。

また、供養の日の寅の時に、仏渡り給ふに、空つつ闇になり、曇りて星も見えねば、「何をしるしにてか、時をはからはすべきやうもなし」など言ふほどに、風も吹かぬに、御堂の上にあたりて、雲、方四五丈ばかり晴れて、七星きらきらと見え給ふ。それをもちて時をはかる。寅二つになりにけり。喜びながら、仏渡り給ひぬ。空は星も見せで、すなはち、もとのやうに暗がりぬ。これ稀有のことなり。

仏渡り給ひて、天蓋を吊るに、仏師定朝(てう)がいはく、「蓋は覆いなる物なれば、吊り金ども打ちつけん料に、組入(くみれ)の上に横ざまに、尺九寸の木の、長さ二丈五尺ならん、三筋渡すべかりけり。思ひ忘れて、兼ねて申さざりけり。いかがせんずる」。「ただ今上げば、あなない結ふべし。また壁ども、所々こぼつべし」。「さらば、多くの物ども損じて、今日の供養にしあはすべきにあらず。いかにせん」とののしりあひたるほどに、大工吉忠(よしただ)、中の間造る長(をさ)にていはく、「中の間の梁(うつばり)の上に、上げ過ぐして、尺九寸の木の三丈なるをこそ、三筋あげて候へ。『勘当やある』とて、申さざりつるなり。それも天蓋に吊らんほどに当りてや候ふらん」と言へば、「いみじきことかな」と言ひて、仏師を上にのぼせて、「いかやうにか、その木は置かれたる」と見すれば、仏師のぼりて、見て帰りていはく、「つぶと当たりて候ふ。塵ばかりも直すべからず」と言へば、天蓋の吊り金ども通して、打ち、吊るに、つゆ筋違(すじか)ひたることなし。これまた稀有のことなり。

「世の末になりたれども、〓5)はことまことなれば、かくあらたに験(しるし)はある物なりけり。まいて、目に見えぬ御功徳、いかばかりならん」と、世の人も仰(あふ)ぎ拝み奉るなりけり。

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いまはむかしやましなてらやけぬこの
てらの仏は丈六のさか仏におはしますむ
かしかまたりのおととのしそんのためにつ
くり給てきたやましなにたうをたててあ
むちし給へりされはやましなてらとは所かは
れともいふ也天智天皇のあはつの宮こに
御かとおはしますあひたにつくらるる也その
おととの御こにふひとのおととの御ときにいま
のやましな寺の所につくりうつされたる也
三百よさいになりてやけしなりそれを/b127 e64
たうしの御よにつくらせ給へる也かの御てら
のちはこと所よりはちのていかめのこうのやうに
たかけれは井をほれともみついてこすされ
はかすか野よりなかるるみつてらのうちに
ほりいれてよろつのはうのうちへもなかし
いれつつひとてらの人はつかふなりそれに
この御たうのめくりらうちうもんのきたの
かはたうにしのさいこんたうみなみのなんゑ
むたうひんかしのとうこんたうしきたう
ほそ殿きたむろのかむのしなのそうはうにし/b128 e65
むろひんかしむろなかむろの大小はうともの
かへぬるに国々の夫おほくあつまりてみつ
をくむに二三町のほとなれはくみもやらねは
えぬりもやらてことのさかる程にゆふたちの
すこししけるにかうたうのにしのかたに庭の
すこしくほみたるにたまり水のたたすこし
したるをかへぬりのよりてそのみつをくみ
つつかへつちにますとてくむにつきもせす
みつのあれはあやしかりてすこしはかりかひ
ほりてみなそこよりみつわきいつけう/b129 e65
かりてほう二三尺ふかさ一さくよはかりほり
たれはまことにいつるみつなりそれをそ
こそはくのかへのれうにくむにみつつきもせ
すさてそのみつをもちておほくのかへをぬ
れはとをくくみしよりはことたたなりに
なりぬれはさるへくていてくるみつ也と
御てらの僧とももいしたたみをしてやをつ
くりををいていまに井にてあれはけうの
ことにするそのひとつ也又くやうの日のとらの
ときに仏わたり給にそらつつやみになり/b130 e66
くもりてほしもみえねはなにをしるしに
てかときをはからはすへきやうもなしなといふ
ほとにかせもふかぬに御たうのうゑにあた
りて雲ほう四五丈はかりはれて七星きらきら
とみえ給それをもちて時をはかるとらかふたつにな
りにけりよろこひなから仏わたり給ぬそら
はほしもみせてすなはちもとのやうにくら
かりぬこれけうの事也仏わたり給て天
かいをつるに仏師定てうかいはくかいはおほゐ
なる物なれはつりかねともうちつけんれうに/b131 e66
くみれのうゑによこさまに尺九寸の木のなか
さ二丈五尺ならん三すちわたすへかりけり
思わすれてかねて申ささりけりいかかせん
するたたいまあけはあなないゆふへしまた
かへとも所々こほつへしさらはおほくの物
ともそんしてけふのくやうにしあはすへき
にあらすいかにせんとののしりあひたる程に
大くよしたたなかのまつくるをさにていはく
なかのまのうつはりのうへにあけすくして
尺九寸の木の三丈なるをこそ三すちあけて/b132 e67
さふらへかんたうやあるとて申ささりつる
也それも天かいにつらんほとにあたりてや候
らんといへはいみしきことかなといひて仏師を
うへにのほせていかやうにかその木はをかれた
ると見すれは仏師のほりてみてかへりて
いはくつふとあたりてさふらふちりはかり
もなをすへからすといへは天かいのつりかね
ともとをしてうちつるにつゆすちかいたる
ことなしこれ又けうのこと也よのすゑにな
りたれとも〓(本)はことまことなれはかくあらた/b133 e67
にしるしはある物也けりまいてめにみえぬ御
くとくいかはかりならんとよの人もあふきを
かみたてまつるなりけり/b134 e68

〓=

1)
興福寺
2)
藤原鎌足
3)
藤原不比等
4)
底本「かはたう」
5)
底本「本」と傍注あり。添付画像参照
text/kohon/kohon047.txt · 最終更新: 2016/01/29 14:25 by Satoshi Nakagawa