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text:kohon:kohon065

古本説話集

第65話 信濃国の聖の事

信濃国聖事1)

信濃国の聖の事

校訂本文

今は昔、信濃の国に法師ありけり。さる田舎にて法師になりにければ、また受戒(ずかい)もせで、「いかで京に上りて、東大寺といふ所に参りて受戒せん」と思ひて、かまへて上りて受戒してけり。

さて、「もとの国へ帰らむ」と思ひけれど、「よしなし。さる無仏世界のやうなる所に行かじ。ここに居なむ」と思ふ心つきて、東大寺の仏の御前に候ひて、「いづくにか行ひして、のどやかに住みぬべき所」とよろづの所を見回しければ、未申の方に山かすかに見ゆ。「そこに行ひて住まむ」と思ひて、行きて、山の中に、えもいはず行ひて過すほどに、すずろに小さやかなる厨子仏を行ひ出でたりければ、そこに小さき堂を建てて、据ゑ奉りて、えもいはず行なひて、年月を経るほどに、山里に下衆に人とて、いみしき徳人ありけり。

そこに僧の鉢は常に飛び行きつつ、物は入りて来けり。大きなる校倉のあるを開けて、物取り出でさするほどに、この鉢飛びて、例の物乞ひに来たりけるを、「例の鉢来にたり。ゆゆしく、ふくつけき鉢よ」とて、取りて、倉の隅に投げ置きて、とみに物も入れざりければ、鉢は待ち居たりけるほどに、物どもしたため果てて、この鉢を忘れて、物も入れず、取りも出でで、倉の戸をさして、主、帰りぬるほどに、とばかりて、この倉、すずろにゆさゆさと揺るぐ。

「いかにいかに」と見騒ぐほどに、揺るぎ揺るぎして、土より一尺ばかり揺るぎ上がる時に、「こはいかなることぞ」と怪しがり騒ぐ。「まこと、まこと、ありつる鉢を忘れて、取り出でずなりぬれ。それがけにや」など言ふほどに、この鉢、倉より漏り出でて、この鉢に倉載りて、ただ上りに、空ざまに一・二尺ばかり上る。

さて、飛び上るほどに、人々、見ののしり、あさみ、騒ぎ合ひたり。倉主もさらにすべきやうもなければ、「この倉の行かむ所を見む」とて、尻に立ちて行く。そのわたりの人々、皆行きけり。

さて見れば、やうやう飛びて、河内(かうち)の国に、この聖の行ふ傍らに、どうと落ちぬ。「いといとあさまし」と思ひて、さりとて、あるべきならねば、聖のもとにこの倉主寄りて申すやう、「かかるあさましきことなむ候ふ。この鉢の常に詣(ま)で来れば、物入れつつ参らするを、今日、まぎらはしく候ひつるほどに、倉に置きて忘れて、取りも出でで、錠をさして候ひければ、倉ただ揺るぎに揺るぎて、ここになむ飛びて詣で来て、落ち立ちて候ふ。この倉返し給ひ候はん」と申す時に、「まことに怪しきことなれど、さ飛びて来にければ、倉はえ返し取らせじ。ここにもかやうの物も無きに、をのづからさやうの物も置かん。よしよし、内ならむ物は、さながら取れ」とのたまへば、主の言ふやう、「いかにしてか、たちまちには運び取り候ふべからむ。物千石積みて候ひつるなり」と言へば、「それはいとやすき事なり。たしかに、我運びて取らせむ」とて、この鉢に米一俵(ひとたわら)を入れて飛すれば、雁(かり)などの続きたるやうに、残りの米ども、続きたり。群雀(むらすずめ)などのやうに飛び続きたるを見るに、いといとあさましく貴ければ、主の言ふやう、「しばし皆な遣(つか)はしそ。米二三百は留めて使はせ給へ」と言へば、聖、「あるましきことなり。それ、ここに置きては、何にかせん」と言へば、「さは、ただ使はせ給ふばかり、十廿をも」と言へど、「さまでも、要るべき事あらばこそ留めめ」とて、主の家にたしかに皆落ちゐにけり。

かやうに貴く行なひて過ぐすほどに、その頃、延喜の御門、重くわづらはせ給ひて、さまざまの御祈りども、御修法(ずをう)、御読経など、よろづにせらるれど、さらにえ怠らせ給はず。ある人の申すやう、「河内に信貴(しんぎ)と申す所に、この年ごろ行ひて里へ出づる事もせぬ聖候ふなり。それこそ、いみじく貴く、験(しるし)ありて、鉢を飛ばし、さて居ながらよろづの有難きことをし候ふなれ。それを召して祈らせさせ候はば、怠らせ給ひなむかし」と申せば、「さは」とて、蔵人を使ひにて召しに遣はす。

行きて見るに、聖のさま、ことに貴くめでたし。「かうかう宣旨にて召すなり」とて参るべきよしいへば、聖、「何しに召すぞ」とて、さらに動きげもなければ、「かうかう候ふ。御悩の大事におはします。祈り参らせ給はむに」と言へば、「それは、ただ今参らずとも、ここながら祈り参らせ候はん」と言はば、「さては、もし怠らせおはしましたりとも、いかて聖の験とは知るべき」と言へば、「それは誰(た)が験といふこと知らせ給はずとも、ただ御心地だに怠らせ給ひなば、よく候ひなん」と言へば、御使の蔵人、「さるにても、いかでか数多(あまた)の御祈りの中にも、その験と見えんこそよからめ」と言へば、「さらば祈り参らせん。止ませ給へらば、剣の護法(ごをう)と申す護法を参らせむに、おのづから御夢にも幻にも御覧ぜば、さとへ知らせ給へ。剣を編みつつ衣(きぬ)に着たる護法(ごう)なり。さらに、京へはえ出でじ」と言へば、勅使の使ひ帰り参りて、「かうかう」と申すほどに、三日といふ昼つかた、きとまどろませ給ふともなきに、きらきらとある物見えさせ給へば、「いかなる人にか」とて御覧ずれば、「あの聖の言ひけむ護法なり」とおぼしめすより、御心地、さはさはとなりて、いささか心苦しきこともなくて、例ざまにならせ給ひにければ、人々喜び、聖をも貴がり、賞であひたり。

御門、御心地にも、めでたく貴くおぼしめせば、人遣はす。「僧都・僧正にやなるべき。また、その寺に御庄なとをや寄すべき」と仰せ遣はす。聖、承りて、「僧都・僧正、さらに候ふまじきこと。また、かかる所に庄など、数多よりぬれば、別当・なにくれなど出できて、中々むつかしく、罪得がましきこと出で来(く)。ただ、かくて候はん」とてやみにけり。

かかるほどに、この聖の姉ぞ一人ありける。この聖、「受戒(ずかい)せむ」とて、上りけるままに、かくて年ごろ見えねば、「あはれ、この小院(こゐむ)、『東大寺にて受戒せむ』とて上りしままに見えぬ。かうまて年ごろ見えぬ。いかなるならむ」とおぼつかなきに、「尋ねて来ん」とて、上りて山階寺・東大寺のわたりを尋ねけれど、「いざ知らず」とのみ言ふなる。

人ごとに、「命蓮小院(まうれんこゐん)といふ人やある」と問へど、「知りたり」と言ふ人なければ、尋ねわびて、「いかにせむ。これが有様(ありさま)聞きてこそ帰らめ」と思ひて、その夜、東大寺の大仏の御前に候ひて、夜一夜、「この命蓮が有所教へさせおはしませ」と申しけり。

夜一夜申して、うちまどろみたる夢に、この仏、仰せらるるやう、「尋ぬる僧のある所は、これより西の方に、南に寄りて、未申の方に2)山あり。その山の雲たなびきたる所を行きて尋ねよ」と仰せらるると見て覚めければ、暁方になりにけり。

「いつしか、とく夜の明けかし」と思ひて見ゐたれば、ほのぼのと明方になりぬ。未申の方を見やりたれば、山かすかに見ゆるに、紫の雲たなびきたり。

うれしくて、そなたを指して行きたれば、まことに堂などあり。人ありと見ゆる所へ寄りて、「命蓮小院やいまする」と言へば、「誰そ」とて出でて見れば、信濃なりしわが姉なり。「こは、いかにして尋ねいましたるぞ。思ひがけず」と言へば、ありつる有様を語る。

「さて、いかに寒くておはしつらん。これを着せ奉らんとて、持たりつる物なり」とて、引き出でたるを見れば、ふくたいといふ物を、なべてにも似ず太き糸して、厚々(あつあつ)と細かに強げにしたるを持てきたり。悦びて、取りて着たり。もとは紙衣一重をぞ着たりける。さて、いと寒かりけるに、これを下に着たりければ、暖かにてよかりけり。

さて、おほくの年ごろおこなひけり。さて、この姉の尼ぎみももとの国へ帰ずとまりゐて、そこにおこなひてぞありける。

さて、おほくの年ごろ、この3)ふくたいをのみ着て行ひければ、果てにはやれやれとなしてありけり。

鉢に載りて来たりし倉をば「飛び倉」とぞいひける。その倉にぞ、ふくたいの破(や)れなどは納め、まだにあんなる。その破れの端をつゆばかりなど、をのづから縁にふれて得たる人は守(まぼ)りにしける。その倉も朽ち破(やぶ)れていまだあなり。その木の端をつゆばかり得たる人は守りにし、毘沙門(びさもん)を造り奉りて、持(ぢ)し奉る人は、必ず徳付かぬはなかりけり。されば、人もかまへてその縁を尋ねて、その倉の折れの木の端をば買ひ取りける。

さて、信貴(しんぎ)とて、えもいはず験じ給ふ所にて、今に人々明け暮れ参る。この毘沙門は命蓮聖の行ひ出で奉りたりけるとか。

翻刻

いまはむかししなのの国に法師ありけりさるゐ中
にてほうしになりにけれはまたすかいもせでいか
て京にのほりて東大寺といふところにまいりてすかい/b235 e120
せんとおもひてかまへてのほりてすかいしてけり
さてもとのくにへかへらむと思ひけれとよしなしさる
無仏世界のやうなる所にいかしここにいなむとお
もふこころつきて東大寺の仏の御前に候ていつく
にかをこなひしてのとやかにすみぬへき所とよろ
つのところをみまはしけれはひつしさるのかたに
やまかすかにみゆそこにおこなひてすまむと思ひて
ゆきて山の中にえもいはすおこなひてすこす程に
すすろにちゐさやかなるつしほとけををこなひい
てたりけれはそこにちいさきたうをたててすゑた/b236 e121
てまつりてえもいはすおこなひてとしつきをふる
ほとに山さとにけすに人とていみしきとくにむ
ありけりそこにそふのはちはつねにとひゆきつつ
物はいりてきけりおほきなるあせくらのあるをあけ
て物とりいてさするほとにこのはちとひてれいの物
こひにきたりけるをれいのはちきにたりゆゆしく
ふくつけきはちよとてとりてくらのすみになけを
きてとみに物もいれさりけれははちはまちゐた
りけるほとに物ともしたためはててこのはちを
わすれて物もいれすとりもいててくらのとをさして/b237 e121
ぬしかへりぬるほとにとはかりてこのくらすすろ
にゆさゆさとゆるくいかにいかにとみさはくほとにゆるき
ゆるきしてつちより一尺はかりゆるきあかるときに
こはいかなることそとあやしかりさはくまことまこと
ありつるはちをわすれてとりいてすなりぬれそ
れかけにやなといふほとにこのはちくらよりもり
いててこのはちにくらのりてたたのほりにそらさま
に一二尺はかりのほるさてとひのほる程に人々
みののしりあさみさはきあひたりくらぬしもさら
にすへきやうもなけれはこのくらのいかむ所をみむとて/b238 e122
しりにたちていくそのわたりのひとひとみないきけり
さてみれはやうやうとひてかうちのくににこのひし
りのおこなふかたわらにとうとをちぬいといと
あさましと思ひてさりとてあるへきならねはひし
りのもとにこのくらぬしよりて申やうかかるあさま
しきことなむ候このはちのつねにまてくれは物い
れつつまいらするをけふまきらはしく候つるほとにくら
にをきてわすれてとりもいててしやうをさして候
けれはくらたたゆるきにゆるきてここになむとひてま
うてきてをちたちて候このくらかへし給候はんと申/b239 e122
時にまことにあやしきことなれとさとひてきに
けれはくらはえかへしとらせしここにもかやうの
ものもなきにをのつからさやうの物もをかんよしよしう
ちならむものはさなからとれとの給へはぬしのいふやうい
かにしてかたちまちにははこひとり候へからむ物せ
んこくつみて候つる也といへはそれはいとやすき事
也たしかに我はこひてとらせむとてこのはちに
こめひとたわらをいれてとはすれはかりなとのつつ
きたるやうにのこりのこめともつつきたりむらすす
めなとのやうにとひつつきたるをみるにいといとあさま/b240 e123
しくたうとけれはぬしのいふやうしはしみなな
つかはしそこめ二三百はととめてつかはせ給へ
といへはひしりあるましきこと也それここにおき
てはなににかせんといへはさはたたつかはせ給はかり
十廿をもといへとさまてもいるへき事あらはこそとと
めめとてぬしの家にたしかにみなをちゐにけ
りかやうにたうとくおこなひてすくすほとにそのこ #飛び倉おわり
ろえんきの御かとおもくわつらはせ給てさまさまの御
いのりとも御すをう御と経なとよろつにせらるれと
さらにえをこたらせ給はすあるひとの申やうかうちに/b241 e123
しんきと申ところにこのとしころをこなひて
さとへいつる事もせぬひしり候也それこそいみしく
たうとくしるしありてはちをとはしさてゐなか
らよろつのありかたきことをし候なれそれをめ
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なけれはかうかう候御なうの大事におはします/b242 e124
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をこたらせおはしましたりともいかてひしりのし
るしとはしるへきといへはそれはたかしるしといふ
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御ゆめにもまほろしにも御らんせはさとへしらせ給へ/b243 e124
けんをあみつつきぬにきたるこう也さらに京へ
はえいてしといへはちよくしのつかひかへりまいりて
かうかうと申程に三日といふひるつかたきとまとろ
ませ給ともなきにきらきらとある物みえさせ給へは
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むこをうなりとおほしめすより御心ちさはさはと
なりていささか心くるしきこともなくてれいさまに
ならせ給にけれは人々よろこひひしりをもたうとかり
めてあひたり御かと御心ちにもめてたくたうとくお
ほしめせはひとつかはす僧都僧正にやなるへき/b244 e125
又そのてらに御庄なとをやよすへきとおほせつかは
すひしりうけ給はりて僧都僧正さらに候ましき
ことまたかかるところにさうなとあまたよりぬれは
別当なにくれなといてきて中々むつかしくつみえ
かましきこといてくたたかくて候はんとてやみに
けりかかるほとにこのひしりのあねそ一人あり #延喜の御門おわり
けるこのひしりすかいせむとてのほりけるままに
かくてとしころみえねはあはれこのこゐむとうたい
しにてすかいせむとてのほりしままにみえぬかうまて
としころみえぬいかなるならむとおほつかなきに/b245 e125
たつねてこんとてのほりてやましなてらとうたい
しのわたりをたつねけれといさしらすとのみいふなる
ひとことにまうれんこゐんといふ人やあるととへとしり
たりといふ人なけれはたつねわひていかにせむこれか
ありさまききてこそかへらめと思ひてその夜東大寺
の大仏の御前に候てよひとよこのまうれんか有
ところをしへさせおはしませと申けりよひと
よ申てうちまとろみたるゆめにこのほとけお
ほせらるるやうたつぬる僧のあるところはこれより
にしのかたにみなみによりてひつしさるのかたに/b246 e126
ふくたいをのみきておこなひけれははてにはやれやれ #長文の脱文あり
となしてありけりはちにのりてきたりしくら
をはとひくらとそいひけるそのくらにそふくたいの
やれなとはをさめまたにあんなるそのやれのはし
をつゆはかりなとをのつからえんにふれてえたるひとは
まほりにしけるそのくらもくちやふれていまたあなり
そのきのはしをつゆはかりえたる人はまほりにしひさ
もんをつくりたてまつりてちしたてまつるひとはかな
らすとくつかぬはなかりけりされは人もかまへてそのえんを
たつねてそのくらのをれのきのはしをはかひとりける/b247 e126
さてしんきとてえもいはすけんし給ところにていまに
人々あけくれまいるこのひさもんはまうれんひし
りのをこなひいてたてまつりたりけるとか/b248 e127
1)
下巻目録に標題がないため、『宇治拾遺物語』目録によって補った。
2)
以下、底本脱文。『宇治拾遺物語』第101話によって補う。
3)
『宇治拾遺物語』からの補入はここまで。
text/kohon/kohon065.txt · 最終更新: 2014/09/21 13:30 by Satoshi Nakagawa