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蒙求和歌
第5第8話(78) 盧充幽婚
校訂本文
盧充幽婚
盧充、行きて狩りしけるに、一つの麞を追ひて、朱門の官舎に至りぬ。人、盧充を呼び入れていはく、「なんぢか亡父、われに書を送りて、『わが弟女(おとむすめ)を汝に合はせよ』と書けり」と云ひて書をおこせしむるに、まことに、わが亡父の筆なりけり。
すなはち、東の廊に3)盧充を入れて、女(むすめ)崔氏を合はせてけり。うちつきに思はしくなりにけり。
かくて、三日ありて、別れなんとする折にのぞみて、すでに孕みたり。「もし、男子を生めらば、なんぢに与ふべし。女子を生めらば、留めて養ふべし」と云ひて、泣く泣く別れ去りぬ。
その後三年、三月三日、盧充、水のほとりに出でて遊ぶところに、牛懸けたる車の、波の上に浮きぬ沈みぬするが、近く来て、岸に上(のぼ)るあり。崔氏と三歳の児(ちご)と、ともに乗れり。児を抱(いだ)きて詩一首・金の椀4)一枚とをそへて、盧充、受け取るほどもなく、車も主も去りぬ。小児、人となりて5)後、数郡の守に移りて、二千石たり。
盧充、後に車に乗りて、市に出でて、金椀を偽り売らせて、見知れる人をうかがはしむるに、一人の賤しき女、これを見て走り帰りぬ。すなはち、主(あるじ)と思しき女を具して来たれり。主、この金椀を見て、伝へたりし起りを驚き問ふ。
重ねていはく、「崔少府か女(むすめ)ありき。われは、そのをばなり6)。いまだ嫁がずして、命終りにしを、親・兄弟(はらから)、惜しみ痛みき。一つの金椀を棺に入れたることありき。すなはち、この金椀なり」。
また言ふ、盧充が家に来て、なほ強ひ問ふに、始めよりのことを語り聞かせて、児を出だして見せしむるに、この児、崔氏の形なり。たがふ所なし。あはれに悲しく思へり。他界より来たり嫁ぎけることを悟り知りぬ。
またいはく、崔少府がこと、いまだ詳(つばひ)らかならず。崔子玉がこととも言へり。覚束無し。
浅からぬ契りはさてもありす川同じ世にだに住まぬ身なれど
翻刻
盧(ロ)充(シウ)幽(イフ)婚(コム) 漢ノ盧充ハ范陽人也城西三十里小崔小府カ墓有リ盧充 ユキテカリシケルニヒトツノ麞ヲヲヒテ朱門官舎ニ至ヌ人 盧充ヲヨヒ入テ云ク汝カ亡父我ニ書ヲヲクリテワカヲトムスメ ヲ汝ニアハセヨトカケリトイヒテ書ヲヲコセシムルニマコトニ/d1-38l
我亡父ノ筆ナリケリスナハチ東ヲ郎ニ盧充ヲ入テムスメ 崔氏ヲアハセテケリウチツキニヲモハシクナリニケリカクテ三 日アリテワカレナントスルヲリニノソミテステニハラミタリ若 男子ヲウメラハ汝ニアタフヘシ女子ヲウメラハトトメテヤシナフヘシト イヒテナクナクワカレサリヌソノ後三年三月三日盧充 水ノホトリニイテテアソフトコロニウシカケタルクルマノナミノ ウヱニウキヌシツミヌスルカ近ク来テキシニノホルアリ崔氏ト 三歳ノチコトトモニノレリ児ヲイタキテ詩一首金ノ埦(ツキ/ワム)一枚トヲ ソヘテ盧充ウケトルホトモナク車モ主モサリヌ小児ヒトリニナ リテ後数郡ノ守ニウツリテ二千石タリ盧充後ニ車ニ乗テ 市ニイテテ金埦ヲイツハリウラセテミシレル人ヲウカカハシムルニ ヒトリノイヤシキ女コレヲミテハシリカヘリヌスナハチアルシト ヲホシキ女ヲクシテ来レリアルシコノ金埦ヲミテツタヘタ リシオコリヲオトロキトフカサネテ云ク崔小府カムスメ/d1-39r
アリキ我ハソノヲハリナリイマタトツカスシテイノチヲハリニシ ヲオヤハラカラヲシミイタミキヒトツノ金埦ヲヒツキニ入タルコト 有キスナハチコノ金埦ナリ又イフ盧充カイヱニ来テナヲシ ヒトフニハシメヨリノコトヲカタリキカセテチコヲイタシテミセ シムルニコノ児崔氏ノカタチナリタカフトコロナシアハレニ カナシクヲモヘリ他界ヨリキタリトツキケルコトヲサトリシリヌ 又云ク崔小府カコトイマタツハヒラカナラズ崔子玉コトト モ云ヘリヲホツカナシ アサカラヌチキリハサテモアリスカハヲナシヨニタニスマヌミナレト/d1-39l