目次
無名抄
第11話 せみのを川の事
校訂本文
せみのをかはの事
[光行、賀茂社歌合とてし侍りし時、予、月の歌に、]1)
石川やせみのお川の清ければ月も流れを尋ねてぞすむ
2)と詠みて侍りしを、判者にて、師光入道、「かかる川やはある」とて、負けになり侍りにき。思ふ所ありて詠みて侍りしかど、かくなりにしかば、いぶかしく思え侍しほどに、「その度(たび)の判者、すべて心得ぬこと多かり」とて、また改めて顕昭法師に判ぜさせ侍りしとき、この歌の所に判していはく、「石川・せみのお川、いとも聞き及び侍らず。ただし、をかしく続けたり。かかる川などの侍るにや。所の者に尋ねて定むべし」とて、事を切らず。
後に顕昭に会ひたりしとき、このこと語り出でて、「これは賀茂川の異名なり。当社の縁起に侍り」と申ししかば、驚きて、「かしこくぞおぢて難ぜず侍りける。さりとも、『顕昭等が聞き及ばぬ名所あらむやは』と思ひて、ややもせば難じつべく思え侍りしかど、誰が歌とは知らねど、歌ざまのよろしく見えしかば、所おきてさやうに申して侍りしなり。これすでに老ひの功なり」となむ申し侍りし。
その後、このことを聞きて、禰宜祐兼、大きに難じ侍りき。「かやうのことはいみじからむ晴の会、もしは国王、大臣などの御前などにてこそ詠まめ。かかる褻事(けごと)に詠みたる、無念なることなり」と申し侍しほどに、隆信朝臣、この川を詠む。また、顕昭法師、左大将家の百首の歌合のとき、これを詠む。
祐兼いはく、「さればこそ。『我いみじく詠み出だされたり』と思はれたれど、代の末には、いづれか先なりけん、人はいかでか知らむ。何となくまぎれて、やみぬべかめり」と本意(ほい)ながり侍りしを、新古今撰ばれしとき、この歌入れられたり。いと人も知らぬことなるを、とり申す人などの侍りけるにや3)。すべてこの度の集に十首入りて侍り。
これ過分の面目なるうちにも、この歌の入りて侍るが、生死の余執ともなるばかり嬉しく侍るなり。あはれ無益のことどもかな。
翻刻
いしかはやせみのおかはのきよけれは 月もなかれをたつねてそすむ セミノヲカハノ事 とよみて侍りしを判者にて師光入道かかる河やは あるとてまけになり侍にきおもふ所ありて よみて侍しかとかくなりにしかはいふかしくおほえ/e11l
侍し程にそのたひの判者すへて心えぬことおほ かりとて又あらためて顕昭法師に判せさせ侍し 時此哥の所に判して云クいしかはせみのおかはいと もききおよひ侍らすたたしおかしくつつけた りかかる河なとの侍にや所の物にたつねてさた むへしとてことをきらす後に顕昭にあひたり し時此事かたりいててこれはかも河の異名 なり当社のゑんきに侍りと申かはおとろきて かしこくそおちて難せす侍けるさりとも顕昭等 かききおよはぬ名所あらむやはとおもひてややも/e12r
せは難しつへくおほえ侍しかとたれか哥とはしらね と哥さまのよろしくみえしかは所おきてさやうに 申て侍りしなりこれすてに老のくうなりと なむ申侍し其後此事をききて禰宜祐兼お ほきに難し侍きか様の事はいみしからむは れの会もしは国王大臣なとの御前なとにて こそよまめかかるけ事によみたる無念なること なりと申侍しほとに隆信朝臣此河をよむ 又顕昭法師左大将家の百首の哥合のと きこれをよむ祐兼云されはこそわれいみしくよみ/e12l
いたされたりとおもはれたれと代のすゑにはいつれか さきなりけん人はいかてかしらむなにとなくまきれ てやみぬへかめりとほいなかり侍しを新古今ゑらは れし時この哥いれられたりいと人もしらぬことなるを とり申人なとの侍けるにやとすへてこのたひの集に 十首入て侍りこれ過分の面目なるうちにもこの 哥の入て侍か生死の余執ともなるはかりうれしく 侍なりあはれ無益の事ともかな/e13r