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text:yomeiuji:uji097

宇治拾遺物語

第97話(巻7・第6話)小野宮の大饗の事 付、西宮殿富小路大臣等大饗の事

小野宮大饗事 付西宮殿富小路大臣等大饗事

小野宮の大饗の事 付、西宮殿富小路大臣等、大饗の事

校訂本文

今は昔、小野宮殿1)の大饗に、九条殿2)の御贈物にし給ひたりける女の装束に添へられたりける紅の打ちたる細長(ほそなが)を、心なかりける御前(みさき)の、取りはづして遣水(やりみづ)に落し入れたりけるを、すなはち取り上げて、うち振ひければ、水は走りて乾きにけり。その濡れたりける方(かた)の袖の、つゆ水に濡れたるとも見えで、同じやうに打ち目などもありける。昔は打ちたるものはかやうになんありける。

また、西宮殿3)の大饗に、「小野宮殿を尊者におはせよ」とありければ、「年老い、腰痛くて、庭の拝(はい)えすまじければ、え詣づまじきを、雨降らば、庭の拝もあるまじければ、参りなん。降らずは、えなん参るまじき」と御返事のありければ、雨降るべきよし、いみじく祈り給ひけり。

その験(しるし)にやありけん、その日になりて、わざとはなくて空曇りわたりて、雨そそきければ、小野宮殿は脇より上りておはしけり。

中島に大きに木高き松、一本立てりけり。その松を見と見る人、「藤のかかりたらましかば」とのみ、見つつ言ひければ、この大饗の日は睦月のことなれども、藤の花、いみじくをかしく作りて、松の梢(こづゑ)より隙(ひま)なう架けられたるが、時ならぬものはすさまじきに、これは空の曇りて雨のそぼ降るに、いみじくめでたう、をかしう見ゆ。池の面(おもて)に影の映りて、風の吹けば、水の上も一つになびきたる。「まことに藤浪(ふじなみ)といふことは、これを言ふにやあらん」とぞ見えける。

また、後の日、富小路の大臣(おとど)4)の大饗に、御家のあやしくて、所々のしちらひもわりなくかまへてありければ、人々、「見苦しき大饗かな」と思ひたりけるに、日暮れて、ことやうやう果てがたになるに、引出物(ひきいでもの)の時になりて、東の廊の前に曳きたる幕の内に、引出物の馬を引き立ててありけるが、幕の内ながら、いななきたりける声、空を響かしけるを、人々、「いみじき馬の声かな」と聞きけるほどに、幕柱を蹴折りて、口取りを引き下げて出で来るを見れば、黒栗毛なる馬の、たけ八寸(やき)あまりばかりなる、平(ひら)に見ゆるまで身太く肥えたる、かいこみ髪なれば、額の望月のやうにて白く見えければ、見て讃めののしりける声、かしがましきまでなん聞こえける。馬の振舞ひ、おもだち、尾ざし、足つきなどの、ここはと見ゆる所なく、つきづきしかりければ、家のしちらひの見苦しかりつるも消えて、めでたうなんありける。

さて、世の末までも語り伝ふるなりけり。

翻刻

いまはむかし小野宮殿の大饗に九条殿の御贈物にし給
たりける女の装束にそへられたりける紅の打たるほそなかを
心なかりける御前の取はつして遣水に落し入たりけるを則取あけて
うちふるひけれは水ははしりてかはきにけりそのぬれたりける/110オy223
かたの袖のつゆ水にぬれたるともみえておなしやうにうちめなとも
ありけるむかしは打たる物はかやうになんありける又西宮殿の大
饗に小野宮殿を尊者におはせよとありけれは年老腰
いたくて庭の拝えすましけれはえまうつましきを雨ふらは
庭の拝もあるましけれはまいりなんふらすはえなんまいる
ましきと御返事のありけれは雨ふるへきよしいみしく祈
給けりそのしるしにやありけんその日になりてわさとはなくて
空くもりわたりて雨そそきけれは小野宮殿は脇よりのほり
ておはしけり中嶋に大に木たかき松一本たてりけり
その松をみとみる人藤のかかりたらましかはとのみみつつ
いひけれはこの大饗の日はむ月の事なれとも藤の花いみしく
おかしくつくりて松の木すゑよりひまなうかけられたるか時
ならぬ物はすさましきにこれは空のくもりて雨のそほふるに/110ウy224
いみしくめてたうおかしうみゆいけのおもてに影のうつりて
風のふけは水のうへもひとつになひきたるまことに藤浪と
いふ事はこれをいふにやあらんとそみえける又後の日富小路
のおととの大饗に御家のあやしくて所々のしちらひもわりなく
かまへてありけれは人々みくるしき大饗かなと思たりけるに
日暮て事やうやうはてかたになるに引出物の時になりて東の
廊のまへに曳きたる幕のうちに引出物の馬を引立てありける
か幕のうちなからいななきたりけるこゑ空をひひかしけるを
人々いみしき馬の声かなとききける程に幕柱を蹴折て
口とりをひきさけていてくるをみれは黒栗毛なる馬のたけ
八きあまりはかりなるひらにみゆるまて身ふとく肥たるかいこみ
かみなれは額のもち月のやうにてしろくみえけれは見てほめのの
しりけるこゑかしかましきまてなんきこえける馬のふるまゐ/111オy225
おもたち尾さし足つきなとのここはとみゆる所なくつきつきし
かりけれは家のしちらひのみくるしかりつるもきえてめてたう
なんありけるさて世のすゑまてもかたりつたふる也けり/111ウy226
1)
藤原実頼
2)
藤原師輔
3)
源高明
4)
藤原顕忠
text/yomeiuji/uji097.txt · 最終更新: 2018/09/25 15:20 by Satoshi Nakagawa