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宇治拾遺物語

第185話(巻14・第11話)高階俊平が弟入道、算術の事

高階俊平ガ弟入道算術事

高階俊平が弟入道、算術の事

校訂本文

これも今は昔、丹後前司高階俊平といふ者ありけり。後には法師になりて、丹後入道とてぞありける。それが弟(おとと)にて、司もなくてある者ありけり。それが主の供に下りて、筑紫にありけるほどに、新しく渡りたりける唐人の、算いみじく置くありけり。それに会ひて、「算置くこと習はん」と言ひけれども、初めは心にも入れで教へざりけるを、少し置かせてみて、「いみじく算置きつべかりけり。日本にありては何にかはせん。日本に算置く道、いとしもかしこからぬ所なり。われに具して唐に渡らんと言はば、教へん」と言ひければ、「よくだに教へて、その道にかしこくだにもなりなば、言はんにこそ従はめ。唐に渡りても、用ゐられてだにありぬべくは、言はんに従ひて、唐にも具せられて行かん」なんど、ことよく言ひければ、それになん引かれて、心に入れて教へける。

教ふるに従ひて、一事を聞きては十事を知るやうになりければ、唐人もいみじくめでて、「わが国に算置くものは多かれど、なんぢばかり、この道に心得たる者はなきなり。必ずわれに具して、唐へ渡れ」と言ひければ、「さらなり。言はんに従はん」と言ひけり。「この算の道には、病(やまひ)する人を置きやむる術もあり。また、病せねども、憎し、妬しと思ふ者を、たちどころに置き殺す術などあるも、さらに惜しみ隠さじ。君に伝へんとす。確かにわれに具せんといふ誓言(ちかごと)立てよ」と言ひければ、まほには立てず、少しは立てなどしければ、「なほ人殺す術をば、唐へ渡らん船の中にて伝へん」とて、異事(ことごと)どもをば、よく教へたりけれども、その一事をば、ひかへて教へざりけり。

かかるほどに、よく習ひ伝へてけり。それに、にはかに主のことありて上りければ、その供に上りけるを、唐人聞きて、とどめけれども、「いかでか、年ごろの君の、かかることありて、にはかに上り給はん、送りせではあらん。思ひ知り給へ。約束をば違(たが)ふまじきぞ」などすかしければ、「げに」と唐人思ひて、「さは、必ず帰りて来よ。今日明日にても、唐へ帰らんと思ふに、君の来たらんを待ちつけて渡らん」と言ひければ、その契りを深くして、京に上りにけり。

世中のすさまじきままには、「やをら唐にや渡りなまし」と思ひけれども、京に上りにければ、親しき人々に言ひとどめられて、俊平入道など聞きて、制しとどめければ、筑紫へだにえ行かずなりにけり。この唐人は、しばしは待ちけるに、音もせざりければ、わざと使(つかひ)おこせて、文を書きて、恨みおこせけれども、「年老いたる親のあるが、今日明日とも知らねば、それがならんやう見果てて行かんと思ふなり」と言ひやりて、行かずなりにければ、しばしこそ待ちけれども、「謀りけるなりけり」と思へば、唐人は唐(もろこし)に帰り渡りて、よく呪ひて行きにけり。

初めはいみじくかしこかりける者の、唐人に呪はれて後には、いみじく呆(ほう)けて、ものも覚えぬやうにてありければ、しわびて法師になりてけり。入道の君とて、ほうけほうけとして、させることなき者にて、俊平入道がもとと、山寺などに通ひてぞありける。

ある時、若き女房どもの集まりて、庚申しける夜、この入道の君、片隅に呆けたる体にてゐたりけるを、夜更けけるままに、眠(ねぶ)たがりて、中に若く誇りたる女房の言ひけるやう、「入道の君こそ、かかる人はをかしき物語などもするぞかし。人々笑ひぬべからん物語し給へ。笑ひて目覚まさん」と言ひければ、入道、「おのれは口てづつにて、人の笑ひ給ふばかりの物語はえし侍らじ。さはありとも、笑はんとだにあらば、笑はかし奉りてんかし」と言ひければ、「『物語はせじ。ただ笑はさん』とあるは、猿楽をし給ふか。それは物語よりはまさることにてこそあらめ」と、まだしきに笑ひければ、「さも侍らず。ただ、笑はかし奉らんと思ふなり」と言ひければ、「こは何事ぞ。とく笑はかし給へ。いづらいづら」と責められて、何にかあらん、物持ちて、火の明かき所へ出で来たりて、「何事せんずるぞ」と見れば、算の袋を引き解きて、算をさらさらと出だしければ、これを見て、女房ども、「これがをかしきことにてあるか、あるか」と、「いざいざ、笑はん」など嘲(あざけ)るを、いらへもせで、算をさらさらと置きゐたりけり。

置き果てて、広さ七・八分(ぶん)ばかりの算のありけるを、一つとりいでて、手にささげて、「御前(ごぜん)たち、さは、いたく笑ひ給ひて、わび給ふなよ。いざ、笑はかし奉らん」と言ひければ、「その算ささげ給へるこそ、をこがましくてをかしけれ。何事にて、わぶばかりは笑はんぞ」など言ひ合ひたりけるに、その八分ばかりの算を置き加ふると見たれば、ある人みなながら、すずろにゑつぼに入りにけり。いたく笑ひて、とどまらんとすれどもかなはず。腹のわた切るる心地して、死ぬべく覚えければ、涙をこぼし、すべき方なくて、ゑつぼに入りたる者ども、ものをだにえ言はで、入道に向ひて、手をすりければ、「さればこそ申しつれ。笑ひ飽き給ひぬや」と言ひければ、うなづき騒ぎて、伏し返り、笑ふ笑ふ手をすりければ、よくわびしめて後に、置きたる算をさらさらと押しこぼちたりければ、笑ひさめにけり。

「今しばしあらましかば死なまし。また、かばかり耐へがたきことこそなかりつれ」とぞ言ひ合ひける。笑ひ困(こう)じて、集まり伏して、病むやうにぞしける。

かかれば、「『人を置き殺し、置き生くる術あり』と言ひけるをも伝へたらましかば、いみじからまし」とぞ、人も言ひける。算の道は恐しきことにてぞありけるとなむ。

翻刻

これも今はむかし丹後前司高階俊平といふものありけり後
には法師になりて丹後入道とてそありけるそれかおととにて
司もなくてあるものありけりそれか主のともにくたりて筑紫に
ありける程にあたらしく渡たりける唐人の算いみしくをく
ありけりそれにあひて算をく事ならはんといひけれとも初は
心にも入れてをしへさりけるをすこしをかせてみていみ
しく算をきつへかりけり日本にありてはなににかはせん日本に
算をく道いとしもかしこからぬ所なり我にくして唐に/下94オy441
渡らんといははをしへんといひけれはよくたにをしへてその道に
かしこくたにもなりなはいはんにこそしたかはめ唐にわたりても用
られてたにありぬへくはいはんにしたかひて唐にもくせられてい
かんなんとことよくいひけれはそれになんひかれて心に入て教へ
けるをしふるにしたかひて一事をききては十事をしるやうに
成けれは唐人もいみしくめてて我国に算をくものはおほかれと
汝はかり此道に心えたる物はなき也かならす我にくして唐へ
わたれといひけれはさらなりいはんにしたかはんといひけり此
算の道には病する人を置やむる術もあり又病せねとも
にくしねたしとおもふ物をたち所にをきころす術なとあるも
さらにおしみかくさし君につたへんとすたしかに我にくせん
といふちかことたてよといひけれはまほにはたてすすこしはたて
なとしけれはなを人ころす術をは唐へわたらん船の中にて伝ん/下94ウy442
とてことことともをはよくをしへたりけれともその一事をはひ
かへてをしへさりけりかかる程によくならひつたへてけりそれに
俄に主の事ありてのほりけれはそのともにのほりけるを唐人
ききてととめけれともいかてかとしころの君のかかる事ありて俄
にのほり給はんをくりせてはあらんおもひしり給へやくそくをは
たかふましきそなとすかしけれはけにと唐人思てさはかならす
帰てこよけふあすにても唐へ帰らんとおもふに君のきたらん
を待つけてわたらんといひけれはその契をふかくして京に
のほりにけり世中のすさましきままにはやをら唐にや
わたりなましとおもひけれとも京にのほりにけれはしたしき
人々にいひととめられて俊平入道なとききてせいしととめけれは
つくしへたにえいかす成にけりこの唐人はしはしは待けるにをとも
せさりけれはわさと使おこせて文を書て恨おこせけれとも年/下95オy443
老たる親のあるかけふあすともしらねはそれかならんやう見はててい
かんと思なりといひやりていかすなりにけれはしはしこそ待けれともは
かりけるなりけりとおもへは唐人は唐に帰渡てよくのろひて行にけり
はしめはいみしくかしこかりけるものの唐人にのろはれてのちには
いみしくほうけてものもおほえぬやうにてありけれはしわひて法師
になりてけり入道の君とてほうけほうけとしてさせる事なき物にて
としひら入道かもとと山寺なとにかよひてそありけるある時わかき
女房とものあつまりて庚申しける夜此入道の君かたすみに
ほうけたるていにてゐたりけるを夜ふけけるままにねふたかりて
中にわかくほこりたる女房のいひけるやう入道の君こそかかる人は
おかしき物かたりなともするそかし人々わらひぬへからん物かたりし
給へわらひて目さまさんといひけれは入道おのれは口てつつにて人
の笑給斗の物かたりはえし侍らしさはありともわらはんとたにあらは/下95ウy444
わらわかしたてまつりてんかしといひけれは物かたりはせしたた
わらはさんとあるは猿楽をし給ふかそれはものかたりよりは
まさる事にてこそあらめとまたしきにわらひけれはさも
侍らすたたわらはかしたてまつらんと思なりといひけれはこは何
事そとくわらはかし給へいつらいつらとせめられてなににかあらん物
もちて火のあかき所へいてきたりてなに事せんするそと
みれは算の袋をひきときて算をさらさらと出しけれはこれ
をみて女房とも是かおかしき事にてあるかあるかといさいさわらはんなと
あさけるをいらへもせて算をさらさらとをきゐたりけりをきは
ててひろさ七八分はかりの算のありけるを一とりいてて手にささけて
御せんたちさはいたくわらひ給てわひ給なよいさわらはかしたてま
つらんといひけれはその算ささけ給へるこそおこかましくておかしけれ
なに事にてわふ斗はわらはんそなといひあひたりけるに其八ふん/下96オy445
斗の算を置くはふるとみたれはある人みななからすすろにえつ
ほに入にけりいたく笑てととまらんとすれともかなはす腹のわた
きるる心ちしてしぬへくおほえけれは涙をこほしすへき方なく
てえつほに入たるものとも物をたにえいはて入道にむかひて
手をすりけれはされはこそ申つれわらひあき給ぬやといひ
けれはうなつきさはきてふしかへりわらふわらふ手をすりけれはよく
わひしめてのちに置たる算をさらさらとをしこほちたり
けれはわらひさめにけりいましはしあらましかは死なまし
またか斗たへかたき事こそなかりつれとそいひあひける
わらひこうしてあつまりふしてやむやうにそしけるかかれは人を
をきころしをきいくる術ありといひけるをもつたへたらましかは
いみしからましとそ人もいひける算のみちはおそろしき事
にてそありけるとなむ/下96ウy446
text/yomeiuji/uji185.txt · 最終更新: 2019/12/01 18:54 by Satoshi Nakagawa